「雲潤の里」は、現在の宇仁地区周辺と加東市の一部にあたります。約1300年前に編纂された『播磨国風土記』には、以下のような記述があります。
丹津日子(につひこ)の神が「法太川の水を雲潤の方へ流そう」と持ちかけたところ、雲潤の太水(おおみず)の神が、「こちらは、鹿や猪の血で耕作するので川の水は不要です」と断ります。それを聞いた丹津日子の神は、「川を掘るのをうみて(あきて)断っただけだ」と言いました。この「うみ」が雲潤(うるみ)になったのです。
当時、鹿や猪の血は、田に霊力を与えるシャーマニックな意味があったのだと考えられています。
奥山寺のふもとの谷間に広がり清冽な山水が流れ込む雲潤の里は、“兵庫の魚沼”ともいうべき米づくりにおける理想的な地形。昼夜の気温差が大きく、でんぷんの蓄積条件にすぐれ良質なお米が育つ環境です。
『播磨国風土記の里 加西』
http://www.fudoki1300.city.kasai.hyogo.jp/fudoki/より引用
農薬の影響により近年激減していると言われるトンボが飛び交っています