ひょうご酒米処とは
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戦後の農業政策において、限られた農地でなるべく多くの収穫量を得るために研究されてきたのが農薬と化学肥料です。しかし、それらに頼りすぎると微生物のはたらきが弱まり土本来の力を失ってしまいます。ひょうご酒米処では、有機物(牛ふん、竹パウダー等)による土づくりを基本とし、収穫量を追うよりも稲にとって快適な環境を作ることを大切に考えています。年々減りつつあるタガメやトンボなど多様な生物が田んぼの中に棲息しています。
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年間の作業工程や生育状況を緻密に検証し、農薬や化学肥料の使用は最小限に抑えています。(「特別栽培米」(※)基準)たとえば農薬の使用は田植え時の一回のみ。持続性の高い農業者として「エコファーマー」にも認定されています。
※農薬・化学肥料の使用量が、県の慣行農業における基準値(化学窒素8.5kg、農薬20ポイント)の50%以下
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“研修生”の名のもとに志ある若者を酷使する農業法人もありますが、そんな「自分だけが儲かれば良い」という考えでは次の担い手が育っていきません。ひょうご酒米処では、持続的な農業経営を実践しつつ、米づくりの面白さと可能性を感じてもらいたいと思い未経験者でも参加できる就労プログラムを実施しています。
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「雲潤の里」は、現在の宇仁地区周辺と加東市の一部にあたります。約1300年前に編纂された『播磨国風土記』には、以下のような記述があります。
丹津日子(につひこ)の神が「法太川の水を雲潤の方へ流そう」と持ちかけたところ、雲潤の太水(おおみず)の神が、「こちらは、鹿や猪の血で耕作するので川の水は不要です」と断ります。それを聞いた丹津日子の神は、「川を掘るのをうみて(あきて)断っただけだ」と言いました。この「うみ」が雲潤(うるみ)になったのです。
当時、鹿や猪の血は、田に霊力を与えるシャーマニックな意味があったのだと考えられています。
奥山寺のふもとの谷間に広がり清冽な山水が流れ込む雲潤の里は、“兵庫の魚沼”ともいうべき米づくりにおける理想的な地形。昼夜の気温差が大きく、でんぷんの蓄積条件にすぐれ良質なお米が育つ環境です。『播磨国風土記の里 加西』
http://www.fudoki1300.city.kasai.hyogo.jp/fudoki/より引用農薬の影響により近年激減していると言われるトンボが飛び交っています
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オーナープロフィール
初田 源三
はった げんぞう1941年生まれ。兵庫県加西市出身。県立北条高等学校(現 播磨農業高校)で農業理論の基礎を学び、「安全・安心なお米を作り、届けたい」という想いで約60年間米づくりに従事。年々増加する耕作放棄地の問題と向き合い、平成27年法人化。ワークシェアリングの考えを採り入れ、兵庫県内各地の農業に関心を持つ若者やシニアを雇用し、徹底した理論に基づく稲作ノウハウの伝承を行っている。また食だけでなくこどもの健康や運動機能にも関心を持ち、市内でサッカースクールを運営中。
<役職>
- 加古川西部土地改良区理事会 元副理事長
- 加西市体育協会 元会長
<表彰>
- 平成28年度 公益財団法人兵庫県青少年本部表彰「指導者等の表彰(個人)」
- 平成27年度 農林水産大臣感謝状(永年協力者)
- 平成8年度 日本サッカー協会(会長)感謝状
- 昭和61年度 兵庫県サッカー協会(会長)感謝状
- 昭和61年度 日本善行会(会長)表彰
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米づくり60年
県立北条高等学校(現 播磨農業高校)で農業理論の基礎を学んで以来、稲作がライフワーク。日本の農業の歴史を知るにつれ、現代農業が抱える問題を痛感。「農業をもういちど産業に」という想いで若い人にも声を掛け、一緒に米づくりをしています。
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サッカー歴60年
高校時代は農業を学ぶかたわらサッカーに没頭。プレーヤーとして経験を重ねたのち、次の世代を育てたいと考えてこどもの指導にあたるようになりました。現在は自らサッカースクールを運営し、毎週末に加西市内で練習を行っています。
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木造り55年
高校卒業後、農業の道に進みたいと一度は考えたものの当時は農地も少なく、家族とともに家具の製造販売会社を営むように。熟練の職人が作る家具を売り歩き、朝トラックいっぱいに積んだ荷物が、帰りには空っぽになることもしばしば。会社は廃業していますが、現在も家具の販売やメンテナンスを承っています。